9th
湾岸戦争への投書の爆発的増大、という現象から、人はなぜ「発言したい欲望」を持つのかを考察している。
まず提起されるのは「普通の人々が、なぜ彼らの日常に直接かかわってこない、日常的危機として存在していないようなマクロな現象=湾岸戦争について、これほどまでにかかわりたがるのか」という問題だ。
まず、ただ情緒的に「いやだいやだ」ということにより何かを成し遂げた気になる情緒主義、ナルシシズムがひとつの原因であることが導き出される。呉智英や小林よしのりや、また多くの人間が指摘していることだが、自己目的化した「運動」は、それがどんなものであれ醜悪である。それは大きな原因の一つだ、という。
その背景にあるのは「遠方の不幸」「地球大の不安」、そういったマクロな状況に関心を寄せることは、まぎれもなく「良いこと」「知っておくべき教養」である、という思想だ。ふつう、人はこの論理を出されると、それをなかなか否定できない。しかし浅羽はこれを掘り下げて考えてみている。
そこで、一見論理的に見える「論説派」(すなわち「教養」派)の投書も、湾岸戦争の現況に具体的にアクセスして何かを変革しようという実体的有効性のある提言にではなく、ただの「私はこういう思想である」というマニフェストにしかなっていないことが暴かれる。そしてその源流は、いわゆる現代の「知識人」たちであることも。
考えてみればほとんどの言説は「私は左派で平和主義に立つ」「私は右派で現実主義に立つ」という信仰告白でしかなかったのだと。
(via uchiharayasuhiko)
昨日一人で酒を飲んでいたら、酔った男が「火を持ってないですか」と言って寄ってきた。 そこで一儲けできる可能性にピンと来た私は、100円で火を着けてやることにした。
ただし、火をくれてやったわけじゃない。 売ったのはあくまで、タバコを燃やすライセンスだけだ。 この着火ライセンスでは、他のだれかに火を渡すことまでは認められていない。 この火は私の財産なんだから、それくらいは言っていいに決まってる。
酔っ払いはそこまで聞いて、キチガイを見るような目つきになった。 それでもよっぽどタバコが吸いたかったらしく、 結局は、この契約を受け入れると言った。
気がつくと、その酔っ払いの仲間が寄ってきた。 そいつらもタバコの火が欲しかったらしい。 私がもう一儲けしてやるかと思っていたら、あろうことか、 酔っ払いが悪びれもせずに、私の火の海賊版を分け出した。
私は酔っ払いにつかみかかろうとしたけれど、 もはや手遅れで、酔っ払いが仲間に火を分け、そいつらがまた分けて、 結局あっというまに、私の火が無料で皆に行き渡ってしまった。
カッとなった私はそいつらのタバコをぜんぶ取り上げて、踏み消してやった。
そうこうしているうちに店員がやってきたので、 この不法行為を訴えてやろうと思ったら、なぜか私の方がつまみ出されてしまった。